ABOUT ME
かと まみこ
加戸 真実子
(本名:桐山 真実子)
1981年 9月 徳島市に誕生
1994年 3月 沖洲小学校 卒業
1997年 3月 城東中学校 卒業
2000年 3月 徳島市立高等学校 卒業
2004年 3月 徳島大学総合科学部人間社会学科 卒業
2004年 4月 民間企業に就職
2005年 4月 日本共産党徳島地区委員会 勤務員
2007年10月 日本民主青年同盟徳島県委員長 就任
2009年12月 結婚、札幌市に移住
2010年 4月 国連NGO新日本婦人の会北海道本部 勤務員
2010年10月 札幌市で長女を出産
2013年 5月 名古屋市在住のときに次女を出産(徳島里帰り出産)
2017年 5月 江戸川区(東京)で3女を出産
2020年 4月 徳島市に移住し、4女を出産
2023年 4月 徳島市議会議員選挙に立候補し、初当選
<現在の活動内容>
・日本共産党徳島市くらし子育て相談室長
・国連NGO新日本婦人の会徳島県本部委員
・こどもグッズ交換の輪くるくる 代表
・こども食堂 運営スタッフ
・内藤市長リコールと議会を変える市民の会 役員
History
<幼児期>
1981年9月10日、加戸家3姉弟の長女として生まれる。
父は生活相談事務所で働いていたが多忙かつ薄給であったため、小学校教員の母が生活と家計を支えていた。自宅のお風呂はブルーシートで覆われており、冬には布団に霜が降りていたこともあった。
5歳のときに現在実家がある北沖洲2丁目に自宅を建設し、家族で移り住む。
<小・中学生時代>
父は相変わらず生活相談に奔走しており、母は教員の傍ら「いのちの電話」の相談員としてボランティア活動を行っていた。2歳差の弟、5歳下の妹とは仲が良く、母主催で頻繁に開催される自宅イベント(劇遊びやパン食い競争、大縄跳びなど)は大盛り上がり。
小学校では、恥ずかしがり屋な優等生タイプだった。
中学校では吹奏楽部でクラリネットを担当。徐々に自分の意見や想いを周りに伝えられるようになり、3年生の時に部長を務める。仲間と切磋琢磨し、吹奏楽コンクール四国大会で銀賞を受賞。
<高校生時代>
高校2年生の冬、吉野川可動堰の建設計画の賛否を問う住民投票運動が起こり、翌年の春、父・加戸悟が可動堰反対派として徳島市議選に出馬。
街中に父のポスターが貼られ、授業中に父の宣伝カーが回ってきて、クラスメイトに付けられたあだ名は「さとる」。恥ずかしかったが、家庭内では住民投票に至った経緯や、市議会での動きを真剣に話してくれる父を尊敬していた。
そして、可動堰計画をストップさせた住民の力を目の当たりにし、政治に関わる重要性を実感した出来事だった。
<大学生時代>
徳島大学総合科学部人間社会学科に入学。可動堰反対など市民運動の中心にいた中嶋信教授のもとで日本経済史、地域経済への理解を深める。
部活動はラクロス部に入部。メンタルの強さが認められ、大学3年生のときにラクロス部キャプテンに。コーチやチームメイトとともに練習の工夫を重ね、中四国大会で優勝。
大学4年生のときに父が徳島市議選の2期目に挑戦し、頑張る父を応援。初めて宣伝カーのアナウンサーや応援演説に挑戦した。この先、6期目まで選挙のたびに父の応援に駆け付ける。
<社会人時代>
大学卒業後、複数の飲食店を経営する地元企業に入社。
忙しくも充実した日々を送っていた社会人1年目の夏、広島県の原水爆禁止世界大会に参加し、核兵器廃絶に向けた世界と日本の運動を知り、衝撃を受ける。またこの頃、就職氷河期、ネット難民など言葉が出てきていた頃で、毎日深夜に及ぶ自分の働き方と社会の状況から矛盾を感じ、次第に政治に目が向き始める。
暮らしの向上や平和のためには政治の力が大きいと考え、父の勧めで政治の道へ。
<政治との密接な時代突入>
日本共産党徳島地区委員会 勤務員として働き始める。政治のど真ん中で仕事を始めるも、同世代で政治を語り合うことが少なく、オシャレに気軽に政治を語れる場を作ろうと決意。任意団体「9Re:8」を結成、代表を務める。イベントの企画、出店などを通じて若者と社会、政治、地域を繋ぐ場を作る。
2006年より政治を学び行動する青年団体「日本民主青年同盟」の徳島県委員長に就任。徳島県の若者の就労状況を調査し県に申し入れを行う、若者の貧困問題を考えるイベントで作家の雨宮処凛さんと対談するなど幅広く活動。
<結婚、そして全国各地での出産・子育て>
結婚後すぐに夫の北海道転勤が決まったため、ともに北海道へ。
札幌で長女、名古屋で次女、東京で3女を授かる。慣れない土地で出産子育てをすることで不安定になり「こんなはずじゃなかった」と涙する夜もあったけれど、各地で良い出会いに恵まれ、子育てサークルやママサークルなど子連れで精力的に活動。夫とも話し合いを繰り返し、助け合い子育てできる家庭を築いてきた。
各地で自治体による子育て支援の違いも体感。一番印象に残っているのは子育てを応援されていると感じた東京都江戸川区の一連の取り組み。政治によって暮らしを豊かにできることを実感した。
<家族で徳島へ移住>
結婚当初から「いつかは私の生まれ育った徳島で子育てを」という希望を伝えており、夫は数年前から四国転勤希望を会社に提出。
次女の小学校入学に合わせて家族で一大決心をし、徳島市に移り住むことに。
2020年コロナ禍で立ち合いや面会が制限される中、徳島市で4女出産。その1年後、念願の夫の四国異動が叶い、家族揃っての徳島生活がスタート。
<徳島での活動をスタート>
今後、子どもたちが育っていく徳島市をより良い場所にしていきたいとの思いから、保育施設整備計画撤回問題に関わり、リコールの会での活動を開始する。また、子どもたちがお腹いっぱい食べられる居場所を、とフードバンク徳島や徳島こども食堂ネットワークでのボランティア活動にも参加。現在は日本共産党徳島市くらし子育て応援室長を務め、こどもグッズ交換会くるくる代表、こども食堂運営スタッフ、国連NGO新日本婦人の会子育てサークルと幅広く活動している。